先日のスピーチ大会では「水を大切にしよう」というスピーチが二つもあった。
彼らのスピーチによれば、この国の水をめぐる状況は非常に危ないという。
それなのに、町でざぶざぶ洗車をしている人、水をまきすぎて芝生が池になってしまっているところなどをよく見かける。
一番身近なのは、水代というものがないということ。
家に水の使用量を記録するメーターなどは無く、一家が一体どれくらい水を使っているのか調べる方法はない(と思う)。
さらに、水を「取ったもん勝ち」のようなところもあって、他の家より水が勢いよく出るように配管にモーターをつけるところもあると聞く。
教育も決して進んでいるとは言えないこの国で(大学を卒業すればだれでも高校の先生にはなれるらしい)、「水を大切にしよう」と水について考えたことがない人たち、または、考えさせられる機会を持たずに成長した人たちを前に叫んでもその問題の喫緊さは伝わらないだろう。
もうその生活に慣れすぎてしまっているし。
他の国ではどうだろうかと思ってみる。
水の使用量なんて気にしたことがない人たちの方が多いのか、一家の水の使用に対してお金を払うのが普通の人たちの方が多いのか。
今までに行ったある国では水の使用量が増えすぎると、請求書の色が変わったりしたっけな。
Saturday, 4 July 2009
Monday, 22 June 2009
中東での留学生活
今日は日本からの交換留学生が帰国間近ということでオフィスに寄ってくれた。
日本からの留学生担当業務は現地の先生がやってくれているので、直接何かをすることはなかったが、日本人が帰国するとなると時間の流れを感じやっぱりちょっとさみしかったりする。
英語圏以外の国、特に日本とは非常に異なる文化圏で留学生活を送るというのは大変なことだと思う。
英語圏での留学がいかにましだったか痛感する。
基本的な生活インフラ、食事、現地の人との人間関係の問題で勉学に専念できないこともあるかもしれない。
仕事に対する認識の違い、学生であるということによって現地の人が彼らをどう見るかという認識の違い、「日本人は…である」という認識はやっぱり国によって違う。
そういう点で、オーストラリアとこの中東の国は大きく違うと思う。
そして、この国では大変さの度合いは、自分の留学生生活よりもはるかに大きいと思う。
言語以外にいろいろなことを学んで帰るのだろうなあと。
一年間の思い出話を聞いて、しみじみと感じさせられました。
Thursday, 18 June 2009
スピーチコンテストの練習をしています
スピーチ大会のために大学の学生の練習をお手伝いしています。
いつも見られる立場なので、発表する人を見るというのはまた違った刺激があって勉強になる。
教師として授業中に学生が理解しやすいように、身振り手振り、表情などを使ったりするのはもちろんだけど、今までそれを受けるほうだった学生がそれを適切にできるようになるのは決して容易なことではないと思った。
まして、外国語でそれをしようというのだから、その苦労は母語の比ではない。
それは別に、身振り手振りをすること自体が難しいということではなく、恥ずかしいからとか、話す内容を考えながら、非言語的な方法でわかりやすく意思を伝えられるようになるのは難しいとかそういったこと。
中途半端なジェスチャーであったり、全体を見なければという思いから、眼は動かすけれども、本当に眼だけで体は正面を向いたままだったりしてしまう。
それでも、外国語を使って大勢の日本人の前で日本語でスピーチをしようとする学生の努力は、発表当日にはわからないが、相当のものだ。
スピーチの内容を考えて、作文を書いて、推敲をして、覚えて、読んで、身振り手振りなども練習をして、さらに何度も練習をして…、一緒に練習をしていると、「参加することに意味がある」なんて言えなくなってしまう。
あと1週間ちょっと。
まだまだ、練習できる。
いつも見られる立場なので、発表する人を見るというのはまた違った刺激があって勉強になる。
教師として授業中に学生が理解しやすいように、身振り手振り、表情などを使ったりするのはもちろんだけど、今までそれを受けるほうだった学生がそれを適切にできるようになるのは決して容易なことではないと思った。
まして、外国語でそれをしようというのだから、その苦労は母語の比ではない。
それは別に、身振り手振りをすること自体が難しいということではなく、恥ずかしいからとか、話す内容を考えながら、非言語的な方法でわかりやすく意思を伝えられるようになるのは難しいとかそういったこと。
中途半端なジェスチャーであったり、全体を見なければという思いから、眼は動かすけれども、本当に眼だけで体は正面を向いたままだったりしてしまう。
それでも、外国語を使って大勢の日本人の前で日本語でスピーチをしようとする学生の努力は、発表当日にはわからないが、相当のものだ。
スピーチの内容を考えて、作文を書いて、推敲をして、覚えて、読んで、身振り手振りなども練習をして、さらに何度も練習をして…、一緒に練習をしていると、「参加することに意味がある」なんて言えなくなってしまう。
あと1週間ちょっと。
まだまだ、練習できる。
Monday, 15 June 2009
観光をしました。
Saturday, 6 June 2009
ソフトボール大会に参加しました。
この国では、日本人会のソフトボール大会というものがある。
35度を超える炎天下の中、たくさんの日本人が集まり、熱戦が繰り広げられました。
ここで行われるソフトボールは日本の多くの方のイメージとは違い、「スローピッチルール」というもの。
参考 → スローピッチ(ウィキペディア)
女性や、年配の方も楽しめるようにというのが、良いところらしい。
さてさて、我々のチームは、前シーズンは一回戦負けだったにもかかわらず、決勝に進出。
決勝は惜しくも敗退したものの、この炎天下の中3試合もするというがんばりぶり。
おかげで、現在全身筋肉痛です。
それでも久しぶりにいろいろな人に会えたし、新しい知り合いも増えたので楽しい一日でした。
35度を超える炎天下の中、たくさんの日本人が集まり、熱戦が繰り広げられました。
ここで行われるソフトボールは日本の多くの方のイメージとは違い、「スローピッチルール」というもの。
参考 → スローピッチ(ウィキペディア)
さてさて、我々のチームは、前シーズンは一回戦負けだったにもかかわらず、決勝に進出。
決勝は惜しくも敗退したものの、この炎天下の中3試合もするというがんばりぶり。
おかげで、現在全身筋肉痛です。
それでも久しぶりにいろいろな人に会えたし、新しい知り合いも増えたので楽しい一日でした。
Wednesday, 3 June 2009
「人生の先輩からお話を聞くのはいい経験だ」というお話
スピーチ大会の準備のお手伝いをしています。
年配の人と仕事をすることが多いのですが、仕事柄というのもあるのでしょうが、その国のことをよく知っているなぁと思わされることが多いです。
新聞を読んだり、いろいろな情報を能動的に集めているんだろうなと推測されます。
教師をやっていると「教師は世間知らずだ」ということをよく耳にします。確かに教師という仕事は、いわゆる「一般的な社会人」とは違うと言われても否定できないというのが私の個人的な印象です(先生をしているみなさんすみません…)。
「だから、社会人のように…をしなければならない」と言いたいのではなく、いいなぁ、と思うところは見習わなければならないと思うのです。
それがいいかどうか、ということではなく、せっかく自分よりある点において優れた人が身の回りにいるのだから、自分のために受け入れてみたらどうだろうということです。
学校にいると2つ、3つくらいしか歳の離れた人と交流をすることしかなかったです。
大学院でもせいぜい10歳くらいだったような気がします。
そして、教壇に立つと相手のほとんどは自分より年下です。
年下だからといって、自分より物事を知らないということはもちろんないのですが、「教師」と「学生」という関係、そして広く流布している「教師」はこういうものだ、「学生」はこういうものだというイメージを一方でも持っている限り、「教師」=「上の存在」、「学生」=「下の存在」という関係図はなかなか崩せません。
そうするといくら教師側が学生からある事柄について教えを乞おうとしても、学生側もなかなか突っ込んで話せないという無意識なためらいが生まれてしまうと思います。
スピーチ大会運営委員会に参加するのは、スピーチ大会の準備をすることがもちろん一番の目的ではありますが、こうやっていろいろな人のお話を聞けるのも、自分の中では目的の一つとなりつつあります。
Tuesday, 2 June 2009
砂漠の国ですが
Monday, 1 June 2009
そういえば
マクドナルドって世界中のたくさんの国にある。
どこの国に行っても一定の質のものが食べられるって、簡単なようで大変なことだと思う。
食べ物の好みも違うだろうし、経営方法だって国によって違うはずだ。
店員の職業倫理、例えば、「分量を守る」なんて我々にとって当たり前に思えることも、あたりまえではない国は山ほどあると思う。
その中で、商売を維持して現地化する苦労は相当のものだと思う。
ちなみにイランにはないと聞いた。
アンチアメリカな人が多いからと聞いた。
専門家から聞いたわけじゃないから、本当かどうかわかりませんが…。
私がここで日本語教育をする目標の一つに日本語教育の現地化がある。
一定の質を維持しつつ、その土地の特色、強み、弱みとをうまくすり合わせ、現地の人たちが包括的に能動的に組織を運営することが期待されている。
あまり首を突っ込めないし、突っ込まなければ、誰も動かなくなったり。
そもそも、「現地化」って何だ?
「現地化」の要素ってなんだろう?
Saturday, 30 May 2009
大学の図書館
Friday, 29 May 2009
夏に向けたお買いもの
最近徐々に暑くなってきて、これから暑い夏が始まってしまうんだなぁということを実感しております。
夏に向けて帽子を購入。
久しぶりの買い物をしました。
海外でくらしていると、体調管理には気をつけないとと実感することがよくあります。
他の人の病院に行った経験の話や、この国での衛生管理についてのうわさを聞くと、病院にはお世話になりたくないものだと改めて思わされます。
医療に関する言葉の壁もありますし。
海外で教える場合の日本語教師としての資質に関する論文を最近読みましたが、「体調管理ができる」、「病気になりにくい」ってのも重要な要素なんだろうなと最近感じています。
社会人として当たり前のことなんだろうけど、特に海外にいる人は慣れない土地にすむわけだし、そう簡単なことではないと思います。
夏に向けて帽子を購入。
久しぶりの買い物をしました。
海外でくらしていると、体調管理には気をつけないとと実感することがよくあります。
他の人の病院に行った経験の話や、この国での衛生管理についてのうわさを聞くと、病院にはお世話になりたくないものだと改めて思わされます。
医療に関する言葉の壁もありますし。
海外で教える場合の日本語教師としての資質に関する論文を最近読みましたが、「体調管理ができる」、「病気になりにくい」ってのも重要な要素なんだろうなと最近感じています。
社会人として当たり前のことなんだろうけど、特に海外にいる人は慣れない土地にすむわけだし、そう簡単なことではないと思います。
Thursday, 28 May 2009
学年末試験ももうすぐ終わる
試験期間も今週で3周目。
もうすぐ期末試験も終わります。
学生は日本語だけじゃなく、英語とか「宗教」みたいな科目の試験もあるらしい。
大変だと思います。
この大学は試験一発勝負で学生の成績が決まる。
だから、学生の必死度は尋常ではない。
普段の小テストでは半分も取れていないからとやさしい問題を作ると平均点が80パーセントなんてことが普通に起こる。
これじゃ、本当に上の人がかわいそうだ。
普段からコツコツやっているのに結局成績は同じ。
だから、今回はかなり骨のある問題を作った。
学生は大変だと思うが、試験の前だけ勉強すれば点が取れるテストなんて教師として負けを認めているように少し思う。
来週試験を受け取りに行ってきます。
今日の学生の出来はどうだったんだろうか。
もうすぐ期末試験も終わります。
学生は日本語だけじゃなく、英語とか「宗教」みたいな科目の試験もあるらしい。
大変だと思います。
この大学は試験一発勝負で学生の成績が決まる。
だから、学生の必死度は尋常ではない。
普段の小テストでは半分も取れていないからとやさしい問題を作ると平均点が80パーセントなんてことが普通に起こる。
これじゃ、本当に上の人がかわいそうだ。
普段からコツコツやっているのに結局成績は同じ。
だから、今回はかなり骨のある問題を作った。
学生は大変だと思うが、試験の前だけ勉強すれば点が取れるテストなんて教師として負けを認めているように少し思う。
来週試験を受け取りに行ってきます。
今日の学生の出来はどうだったんだろうか。
Tuesday, 24 February 2009
日本語教育のアシスタントが増えました
最近新学期が始まりました。
これまで自分に集中しがちだった仕事をなるべく現地の先生方に返却(?)するべく、お願いしまくっています。
自分がやったほうが安心ってのはもちろんあるけれども(いいものができるかはわからないけど…)、若い先生(候補の)方にも教材作成や、授業準備を経験してほしいと思って、それから自分が授業自体に集中できるようになるべく仕事を分担するようにしました。
上の先生方に許可を取って、「アシスタントを募集しています」のようなビラを作って配ったところ、結構集まりました。
5人も!!
みんなちゃんとやる気があるということを再確認し、仕事をお願いしました。
これまで日本人の先生が奔走して、運営されてきたこの大学。
これからはもっと現地の先生の「…大学愛」が育って、もっとよい日本語教育機関として成長してくれればと思っています。
先輩日本人先生が言っていました。
「援助慣れしている国民は、自分から援助を取りに行ける、仕事を取りに行けるようになるまでかなり時間がかかる」と。
ああ、このことなのかな、と思ったりもしました。
これまで自分に集中しがちだった仕事をなるべく現地の先生方に返却(?)するべく、お願いしまくっています。
自分がやったほうが安心ってのはもちろんあるけれども(いいものができるかはわからないけど…)、若い先生(候補の)方にも教材作成や、授業準備を経験してほしいと思って、それから自分が授業自体に集中できるようになるべく仕事を分担するようにしました。
上の先生方に許可を取って、「アシスタントを募集しています」のようなビラを作って配ったところ、結構集まりました。
5人も!!
みんなちゃんとやる気があるということを再確認し、仕事をお願いしました。
これまで日本人の先生が奔走して、運営されてきたこの大学。
これからはもっと現地の先生の「…大学愛」が育って、もっとよい日本語教育機関として成長してくれればと思っています。
先輩日本人先生が言っていました。
「援助慣れしている国民は、自分から援助を取りに行ける、仕事を取りに行けるようになるまでかなり時間がかかる」と。
ああ、このことなのかな、と思ったりもしました。
Monday, 16 February 2009
水代を払わなくてもいい
ここでは銀行引き落としとかの概念はあまりないようだ。
銀行き引き落としがないわけではないのかもしれないけど、今のところここでは使ったことがない。
なので、担当者らしき人が請求書を持って家に来る。
これまでガス、電気を毎月払ってきた。
ずいぶん長く水代の請求に来ないなーと思っていた。
たまたまお隣さんに洗濯機の修理をお願いしたときに聞いてみた。
わたし : 「水代ってどうやって払えばいいんですかね」
お隣さん : 「…」
わたし : 「あ、いや、ガスとか電気は毎月来るんですけど、水はまだ一回も来ていないんです」
お隣さん : 「何のことかわからないわ」
わたし : 「え…」
ということで、水代を払う必要がないということがわかり、びっくり。
タダだったら、水を大切に使おうなんて思う人は少ないでしょうね。
まだ環境に配慮するなんて教育は十分ではないでしょうし…。
銀行き引き落としがないわけではないのかもしれないけど、今のところここでは使ったことがない。
なので、担当者らしき人が請求書を持って家に来る。
これまでガス、電気を毎月払ってきた。
ずいぶん長く水代の請求に来ないなーと思っていた。
たまたまお隣さんに洗濯機の修理をお願いしたときに聞いてみた。
わたし : 「水代ってどうやって払えばいいんですかね」
お隣さん : 「…」
わたし : 「あ、いや、ガスとか電気は毎月来るんですけど、水はまだ一回も来ていないんです」
お隣さん : 「何のことかわからないわ」
わたし : 「え…」
ということで、水代を払う必要がないということがわかり、びっくり。
タダだったら、水を大切に使おうなんて思う人は少ないでしょうね。
まだ環境に配慮するなんて教育は十分ではないでしょうし…。
Sunday, 1 February 2009
Sunday, 11 January 2009
かなり長い間手をつけていませんでした。
新年を迎え、たくさんの人からメールをいただきました。2,3年ごとに色々な所で生活しているせいもあって、紙媒体の年賀状をもらったり、書いたりすることからかなり遠ざかっているなぁとここ数年よく思います。
日本で書くような「謹賀新年」みたいな年賀状は書けなくとも、絵葉書を送ることはできるわけで、そう考えると、ああ、結局自分の怠慢なんだなと思います。別に年賀状じゃなくても、今年は書こうかな、と思ってはいます。
思っては…ね。
日本で書くような「謹賀新年」みたいな年賀状は書けなくとも、絵葉書を送ることはできるわけで、そう考えると、ああ、結局自分の怠慢なんだなと思います。別に年賀状じゃなくても、今年は書こうかな、と思ってはいます。
思っては…ね。
Friday, 27 June 2008
日本語教師にとって追い風になる?
日本語教育に携わる者なら、今の求人・求職事情の大変さを実感しない人はいないと思います。
最近は、それでも日本政府が具体的な方針を打ち出したことや、地域での外国人との交流を実感する人が多くなり、活動の可能性が広くなってきたように感じます。
日本国内も、海外もいろいろな可能性がありそうだとかなり期待しています。
まだ、今のところどれも有期の仕事ばかりだけど、これが一時的なものになってほしくないと切実に思っています。
私も次はそろそろ定職につきたいです。
http://www.joca.or.jp/bunka/
http://www.yomiuri.co.jp/kyoiku/renai/
http://www.jpf.go.jp/j/intel/exchange/organize/jenesys/index.html
最近は、それでも日本政府が具体的な方針を打ち出したことや、地域での外国人との交流を実感する人が多くなり、活動の可能性が広くなってきたように感じます。
日本国内も、海外もいろいろな可能性がありそうだとかなり期待しています。
まだ、今のところどれも有期の仕事ばかりだけど、これが一時的なものになってほしくないと切実に思っています。
私も次はそろそろ定職につきたいです。
http://
http://
http://
Sunday, 24 February 2008
デング熱で入院
先週一週間初めて入院というものを経験しました。
デング熱で。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%87%E3%83%B3%E3%82%B0%E7%86%B1#.E3.83.87.E3.83.B3.E3.82.B0.E5.87.BA.E8.A1.80.E7.86.B1
点滴なんかも経験したりして、元気になった今となってはいい思い出です。
今はちょっと疲れやすい感じはありますが、しっかり働いています。
デング熱で。
http://
点滴なんかも経験したりして、元気になった今となってはいい思い出です。
今はちょっと疲れやすい感じはありますが、しっかり働いています。
Thursday, 31 January 2008
学生の授業フィードバックから。
教室内の全ての学生が全て同じ一時間で満足する授業をすることは不可能だと思う。毎学期行っている自分の授業へのフィードバックを見てそう思った。
どんなに多くの学生が気に入って楽しんでいるように見える活動中も、必ずどこかに「あんまりこの教えかたは好きではない」と考えている学生がいる。
グループワークに多くの学生が楽しそうに取り組んでいても、必ずどこかに「一人で静かに勉強したい…」と考えている学生がいる。
すでに勉強したことを復習したいと考えている学生もいれば、習ったことを使ってどんどん問題を解いて行きたいと考える学生もいる。
あ る授業一コマで全ての学生を満足させることができないならば、様々な教育方法を長期的に用いて、「なるべく」多くの学生の学習スタイルに合わせられるよう にする必要があるのかもしれない。ある一種の教え方がある学生にとって苦痛以外の物でないとしたら不幸である。しかし、せっかく学ぼうとしている学生が 「不幸でしたね」で片付けられたらたまったものではない。
確かに、必ずしも学生の学習スタイル、好みに合わせなくてもいいという考えもある。
しかし、どんなに「すばらしい」教授法・学習方法であっても(それが存在するかどうかはともかく)、学生が受け入れられないならば、教師の努力も水泡に帰しかねない。
どんな教材でも様々な使い方がある。教材の使い方は教材が決めるのではなく、学生と教師が決めるものだ。一コマで「全て」のことを教えたり、学んだりすることはできない(「全て」って何?って疑問もあるが…)。
十分に教材を分析し、ある一コマで何を学ぶか、何を教えるか考えて柔軟な授業を運営したい。
学生のフィードバックからそんなことを考えました。
どんなに多くの学生が気に入って楽しんでいるように見える活動中も、必ずどこかに「あんまりこの教えかたは好きではない」と考えている学生がいる。
グループワークに多くの学生が楽しそうに取り組んでいても、必ずどこかに「一人で静かに勉強したい…」と考えている学生がいる。
すでに勉強したことを復習したいと考えている学生もいれば、習ったことを使ってどんどん問題を解いて行きたいと考える学生もいる。
あ る授業一コマで全ての学生を満足させることができないならば、様々な教育方法を長期的に用いて、「なるべく」多くの学生の学習スタイルに合わせられるよう にする必要があるのかもしれない。ある一種の教え方がある学生にとって苦痛以外の物でないとしたら不幸である。しかし、せっかく学ぼうとしている学生が 「不幸でしたね」で片付けられたらたまったものではない。
確かに、必ずしも学生の学習スタイル、好みに合わせなくてもいいという考えもある。
しかし、どんなに「すばらしい」教授法・学習方法であっても(それが存在するかどうかはともかく)、学生が受け入れられないならば、教師の努力も水泡に帰しかねない。
どんな教材でも様々な使い方がある。教材の使い方は教材が決めるのではなく、学生と教師が決めるものだ。一コマで「全て」のことを教えたり、学んだりすることはできない(「全て」って何?って疑問もあるが…)。
十分に教材を分析し、ある一コマで何を学ぶか、何を教えるか考えて柔軟な授業を運営したい。
学生のフィードバックからそんなことを考えました。
Sunday, 20 January 2008
コミュニケーションにおいて大切なことって?
異なる言葉を使ってコミュニケーションをとろうとする際はやっぱり外国語そのものの知識は不可欠だ。
英語以外の全くわからない言葉で話しかけられることがよくあるここマレーシアで生活していると、お互い不快な思いをすることなく円満な関係を築くためには言語そのものの知識よりは、言語の使用に伴う行動や話し方、身振り手振りが非常に大切であることを痛感する。
人を注意する際の言葉の使い方や、話す勢い、態度。
大きいお札しかない客に対するレジの店員の態度。
借りたものをどのように返すか。直接本人に渡すか、ただそこに置いていくか。
その際に使う言葉がどんなに適切で美しかったとしても、相手の目に不適切に映る行動であれば意思疎通の相手に対し不快な思いをさせることは不可避である。
言葉を教える立場にある限り、言葉そのものを教え続けなければならないことを否定するつもりはないが、言語教育の究極的な目標とはそれだけだろう か。それを全て議論するつもりはないが、意思疎通能力の育成がその一つである限り、不快を与える意思疎通よりも、不快を与えない意思疎通技能の育成を目指 すことが言語教育の目標の一つであってしかるべきだと思う。
どんなに外国語の文法が使いこなせても、そこでつまずいたがために「○×人は…」と後ろ指を差されるのは残念だ。しかし、正直言って、自分も今までのいろいろな国の人たちとのコミュニケーションの中で、無意識にそうやってレッテルを貼ってきた気がする。
コミュニケーション研究はそれなりに積み重ねのある研究分野だし、まだまだ人気のある分野でもある。
いつか、「不快のないコミュニケーション」が当たり前の世界になるのだろうか。
それとも、「他者を理解してあげなくては」という意思が「不快なコミュニケーション」を駆逐することができるのだろうか。
英語以外の全くわからない言葉で話しかけられることがよくあるここマレーシアで生活していると、お互い不快な思いをすることなく円満な関係を築くためには言語そのものの知識よりは、言語の使用に伴う行動や話し方、身振り手振りが非常に大切であることを痛感する。
人を注意する際の言葉の使い方や、話す勢い、態度。
大きいお札しかない客に対するレジの店員の態度。
借りたものをどのように返すか。直接本人に渡すか、ただそこに置いていくか。
その際に使う言葉がどんなに適切で美しかったとしても、相手の目に不適切に映る行動であれば意思疎通の相手に対し不快な思いをさせることは不可避である。
言葉を教える立場にある限り、言葉そのものを教え続けなければならないことを否定するつもりはないが、言語教育の究極的な目標とはそれだけだろう か。それを全て議論するつもりはないが、意思疎通能力の育成がその一つである限り、不快を与える意思疎通よりも、不快を与えない意思疎通技能の育成を目指 すことが言語教育の目標の一つであってしかるべきだと思う。
どんなに外国語の文法が使いこなせても、そこでつまずいたがために「○×人は…」と後ろ指を差されるのは残念だ。しかし、正直言って、自分も今までのいろいろな国の人たちとのコミュニケーションの中で、無意識にそうやってレッテルを貼ってきた気がする。
コミュニケーション研究はそれなりに積み重ねのある研究分野だし、まだまだ人気のある分野でもある。
いつか、「不快のないコミュニケーション」が当たり前の世界になるのだろうか。
それとも、「他者を理解してあげなくては」という意思が「不快なコミュニケーション」を駆逐することができるのだろうか。
Wednesday, 19 December 2007
ごぶさたしておりました。
長い間ご無沙汰しておりました。
今日、やっと仕事納めがあり、明日から年末年始休みです。
最近はテストを作ったり何やらで、忙しかったため書くことができませんでした。
マレーシアも南国ながらも、クリスマスの飾り付けがいたるところにされ、それなりにクリスマスムードが感じられます。
店員さんも「サンタクロース帽子」をかぶっちゃったりして、しっかりクリスマスって感じがします。
今年も、年末年始は日本に帰ることができませんが、皆さんいかがお過ごしですか。
日本のクリスマスが懐かしいです。
日本の冬も懐かしいです。
今日、やっと仕事納めがあり、明日から年末年始休みです。
最近はテストを作ったり何やらで、忙しかったため書くことができませんでした。
マレーシアも南国ながらも、クリスマスの飾り付けがいたるところにされ、それなりにクリスマスムードが感じられます。
店員さんも「サンタクロース帽子」をかぶっちゃったりして、しっかりクリスマスって感じがします。
今年も、年末年始は日本に帰ることができませんが、皆さんいかがお過ごしですか。
日本のクリスマスが懐かしいです。
日本の冬も懐かしいです。
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